命日

4/3は祖母の命日。
家族皆でお墓参りへ。
もう10年。
あれから10年。
早いなあ。

あの日は、祖母が亡くなった日は、
同僚たちとお花見に行く約束をしていた。

その日は、たまたま大雨だった。
お花見は勿論中止になった。

何をするでもなく、
自宅でただただぼーっとしていた。

家族からの連絡を受け、山梨の病院へ妹と向かった。
たまたま私は連休だった。

行きの電車の中でも
その日に亡くなるなんて思ってないし
実感はない。涙なんて勿論出ない。
病院へ着いて今夜が山だと知りつつも、まだ実感はない。
もう喋れない祖母を見ても、まだ涙は出ない。

集まった私たちは祖母の枕元で、ただ談笑していた。
もうすぐ死ぬであろう祖母を目の前にしながらも
案外笑えるものだと思ったことをよく覚えている。
最後に病院に到着したのは母だった。
珍しくその日は長い残業をしていた。
23:00を回った頃、母は現れた。
祖母に二言三言話しかけ、その後も皆で談笑していた。

病室の椅子は限られている。
また違う待機部屋にも家族はいた。

もう痰を切る力も残っていない祖母の呼吸はとても荒れていた。
ごぉーごぉーと、滝の音のようなすごい音がしていた。

最初に異変に気付いたのは私だった。

私たちの談笑の声にかき消されるように、
音が小さく小さく少しずつ萎んでいたのだ。

ドラマみたいに心電図の機械がピー‥なんて言わないし、
祖母が死んだ時間なんて正確にはわからなかった。
人が死ぬ瞬間とはそういうものなのだと思った。

10年も前のこと。
記憶をしぼりだして書いたこの記事も
記憶違いもあるかもしれない。
その場にいた人たちがこれを読んだら『違うよ、お姉ちゃん』と言うかもしれない。

そう思うと、
10年という月日は短いようで、とてもとても長いのではないか。
記憶なんて薄れていくし、悲しみも薄れていく。
祖母のことを思い出さない日がどんどん増えていく。

祖母の亡骸を自宅に運ぶ道すがら
4月だというのに雪が降った。
樹氷を久しぶりに見た。泣きすぎて頭が痛かった。
あれから樹氷は一度も見ていない。

たまたまがたくさん重なった日。
偶然なのか必然なのか、おばあちゃんの想いが天に届いたのか。
全員で看取ることが出来た。

ただただ悲しかったけど、ただただ冷静だった。

私はこの日のことを思い出すと思うのだ。

皆誰かの大切な息子さん、娘さん、お孫さんなのだと。
根っからの悪人なんていないんだと。
簡単に人を傷つけてはいけないんだと。
そして自分のことも傷つけちゃいけないんだと。
幸せにならなくちゃいけなきゃいけないんだと。

人間関係で悩んだときは、 
相手の人生やバックヤードを想うと
案外許せたり、楽になれる。



亡くなる前に結婚して安心させてあげたかったんじゃない?
とか言われるけど正直そういう想いはない。
だって自分の人生だし、しょーがないし。

でも、不幸にはなってはいけないなと思う。
だから私は傷つく前に頭で考えすぎる。
考えて回避してしまう。

それがいいことなのか、悪いことなのかわからない。
でも多分そういう風にしか生きられない。


祖母がよく言っていた。
『りょうこが6番目の子供で、しょうこ(妹)が7番目』

勿論、孫なんだけど、
親が離婚して母は殆ど家にいなかったから、
祖母が面倒をみてくれた。

ほとんどおばあちゃん孝行できなかったな‥
今更ながら少し悔やんでる。

ほんの少し。

祖父はまだ元気だけど
年齢的にいつ何が起きてもおかしくないし、
マメに会いに行かなくちゃ。

私の結婚を誰よりも望んでいる 笑
結婚相手を会わせられる日は果たしてくるのだろうか 笑

こないに一票。

Ryoco Sato

Hair Salon Dalmony 上着を脱がす太陽になる。 時には帽子を吹き飛ばすくらいの北風に。 “変えられるものを変える勇気、 変えられないものを受け入れる心、 その違いがわかる知恵”

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